前回は、アラタとミハヤのデート回だった。
商店街のウインドウに映る二人の姿は、両想いにしか見えない。
しかし、めでたしめでたしのハッピーエンドで終わりとなるわけがなく……
強硬派
のっけから不穏な集会が始まった。
速水ミハヤを信奉する強硬派たちが、祈りを捧げ、信仰の覚悟の形として、自分たちと交わらぬものを排斥する動きを見せた。
知山アラタを
討て
ついに人間たちがアラタを標的にしたようだ。
これまでアラタは、ミハヤや七不思議を追ったその流れで、怪異に襲われることはあったが、それはあくまでアラタから干渉してきたから、怖い目にあっていたのであり、もとから攻撃の意図があったわけではない。
町の逸話を解き明かしたので、アラタが狙われる理由は無くなったと思ったが、強硬派にとっては「子供が神隠しにあったのはアラタのせいだ」というので、所詮建前で、アラタをミハヤから切り離すことができればそれでよかったのだろう。
だが、ミハヤとアラタがデートし、それを強硬派も町で見ていたはずだ。
もう、なりふり構っていられなくもなったのだろう。
さみしがり
一方、殺害の対象とされているともつゆ知らず、アラタはナツメとともに公園で過ごしていた。
プールの一件以来、会えていなかったが、どうやらナツメは、ハルヲと一緒に、山で柱場アキトの死体狩りをしていたらしい。
さて、二人の会話から、ナツメの目的は達成されたようだ。
ナツメがアラタと手を組んだのは、誰も信じてくれない怪異の存在を周りに認めさせることであった。
だからこそ、痛い目に合うとして、怪異と接触させようとしており、実際にコックリさんの回では、命を危険に晒してまで、付き合ったのだ。
目的を達成したナツメは、肩の荷を下ろせてホッとしたような、何年も固執していた目標があっさり片付いてしまった寂しさ、なぜこだわっていたのだろうという哀しさが混ざった表情をしていた。
寂しかったからかな
本作だけでなく、八月九日僕は君に喰われる。もそうだが、全体を通して、寂しさとか、人の温もりに縋るということが、描かれている。
人も怪異も誰も彼もが、誰かに覚えていてもらいたい、忘れられるのはいやだ、と熱を欲している。
その熱を得るために、それぞれに行動し、怪異であれば人を襲うというのが、tomomi先生の解釈なのかもしれない。
この怪談の侘しさ、寂しさは、日本の怪談には共通して横たわっているようと思う。
柳田邦男や小泉八雲の記録した民話、怪談は、この傾向が強い気がするので、その感情を組んでいるのだろう。
ファン
ナツメと別れ、公園で一人、鉄棒で遊ぶアラタだったが、そこに初登場に人物が現れた。
僕はっ
君のファンなんだっ
しょっぱなから、怪しさ前回である。
読者目線では、強硬派がアラタを殺すつもりで仕向けた刺客にしか見えない。
だが、それならば一人でいる隙をついて、さっさと仕留めればいいだけなので、わざわざ距離感を詰めてくるのは変である。
アラタを消すことで、ミハヤを前の状態に戻したいのではなく、アラタからミハヤを奪い取ることが狙いなのだろうか?
これならば、アラタのファンと自称して近づくことの納得がいく。
まだ名前も出てこないので、次回あたり自己紹介があるだろう。
おわりに
新章が展開した。強硬派編と名付けるのがよいだろうか。
今後、強硬派がどのような手を打ってくるのか?ファン君の正体は何か?
楽しみに待ちたい。
次回、二〇二四年一二月一三日更新予定。
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